プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

conclusion

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道徳的に真に排斥すべきであるのは
とりわけその所有のうえに休息することで
富の享楽によって怠惰や肉の欲
なかんずく「聖潔な」生活への努力から
離れるような結果がもたらされることなのだ

遊技はただ合理的な目的
つまり、肉体の活動力が必要とする休養に
役立つものでなければならず

享楽の手段であったり
功名心、粗野な本能
非合理的な欲望を喚起させる場合
遊技は端的に排斥されるべきものであり

「貴族的な」遊技であれ
庶民が踊りや酒場に行くことであれ
職業労働や信仰を忘れさせるような
衝動的な快楽は合理的禁欲の敵とされた









上記のような厳格な色彩を帯びた禁欲は
修道士の小部屋から職業生活へ転移し
世俗内的道徳的を支配するとともに
近代的経済の強力な秩序界(コスモス)の
形成における原動力となった
この秩序界は現在、圧倒的な力をもって
市井の人の生活をも支配している

現在においては
「天職義務」はかつての
宗教的信仰の亡霊として徘徊し

営利活動は宗教的・倫理的な意味を
剥奪され、純粋な競争的感情
スポーツ的な性格を帯びる傾向さえある

そして最後はこう締めくくっている

こうした文化発展の最後に現れる
「末人たち」にとっては
次の言葉が真理となるのではなかろうか
「精神のない専門家
心情のない享楽人
この無のもの(ニヒツ)は
人間性のかつて達したことのない段階
にまですでに登りつめた
と自惚れるだろう」



倫理観はシートベルトのようなもの
身に付けるには一手間いるが


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